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「大分で過ごす幸せの総量を増やす」ために、誰と何をなすか— 大分を愛する5社の同志が前例なき共創を成し遂げるまで【おおいたプラット×電通コンサルティング】

輝かしい成功に至るまでの人々の葛藤や奮闘には、無数のドラマがある。前例のないプロジェクトを推進している立役者に寄り添う対談シリーズ『Behind the SCENES』。

シリーズ第5回のテーマは、業種も文化も異なる5社の「大分愛」を一つに束ね、前例なき地域共創プラットフォーム企業、おおいたプラットを誕生させた同志たちの軌跡だ。

おおいたプラット株式会社で代表取締役社長を務める上野 秀寿さんと株式会社電通コンサルティングで専務執行役員 シニアパートナーを務める杉本 将隆の対談形式で、5社協業という険しい道のりとそれを乗り越えた力の源泉を語ります。
(ファシリテーター:電通コンサルティング マネジャー 山岸 重和)


大分に関わるすべての人や地域の「幸せの総量」を増やす——。その理念を掲げ、県内企業5社(大分銀行、オーイーシー、大分合同新聞社、大分放送、トキハ)が共同で立ち上げたのがおおいたプラットだ。設立当初から業種横断のコンソーシアム型で動き、各社がデータと顧客接点を持ち寄って一つのプラットフォームを形成しようとしている点は、全国的にも類を見ない。単なるデジタルサービス会社ではない。デジタルを武器に地域の経済循環と生活体験を根底から再設計し、大分という地域そのものをプラットフォームとして再編集する——その目的を旗印に、地域社会のインフラ運営者へとその役割を広げようとしている。

おおいたプラット修正画像1

対談内で取り上げているイベント年表

奇跡の座組はこうして生まれた

「大分の経済界として何かできないか」——5社の出発点

2022年12月、電通コンサルティングがアドバイザーを務めるトキハ百貨店の酒井常務(当時、現社長)が声を上げた。その一声が引き金となり、大分県内の地元大手企業5社が集結。「チーム大分カンファレンス(TOC)」の取り組みが、静かに、しかし確実に動き始めた。

山岸杉本さんは酒井さんからTOCの取り組みをお聞きになって、どう思われましたか?

杉本大分を代表する5社が集まって何か新しい取り組みができたら素晴らしいだろう、と直感的に感じましたね。

トキハ 酒井さんは百貨店の経営にとどまらず、大分の地域経済をどう活性化していくかという大きな命題に取り組まれている方で、私も大分の出身ということもあり、2010年頃からさまざまなプロジェクトでご一緒させていただいていました。ですから、地元の活性化をぜひ一緒に考えたいという思いはずっと持っていました。

杉本さん_単独

電通コンサルティング 専務執行役員 シニアパートナー 杉本 将隆

「目に見える構想書」が、5社の目線を一つに合わせた

しかし、取り組みはなかなか前に進まない。異なる業界のトップ同士が集まれば、議論は抽象化しやすく、共通認識は生まれにくい。

転機となったのは、2023年8月の講演会だった。福井県で地域共創モデルを実践していた株式会社ふくいのデジタルの島田副社長が登壇し、大分の5社と初めて本格的に交わったのである。このとき、杉本もTOCメンバーと初めて顔を合わせた。その後、1か月でTOCとともに構想書を仕上げる。これが、地域共創の一つ目の核心だ。「目に見える構想書」がなければ、5社の議論は永遠に平行線のままだった。

山岸 20238月の講演会で、TOCメンバーと初めて顔を合わせたとき、どのような印象を受けられましたか?

杉本業種の異なる5——新聞・百貨店・銀行・テレビ・IT——がうまくまとまれるのだろうか、という不安は正直ありました。一方で大分出身の私としては、この取り組みはぜひ成し遂げたいという思いが強くあり、不安と期待が入り混じっていましたね。

参加者は地域を代表する企業——各社の取締役・常務・執行役員クラスが顔を揃えた。懇親会を経るにつれ、場に一体感が満ちていった。実務を動かす者たちが本音で語り合う、その熱量と空気感が、大きな期待を醸成していたと思います。

山岸講演会ではふくいのデジタルの島田副社長から事例紹介をしていただきましたが、皆さんの反応はいかがでしたか?

杉本島田さんの事例紹介に対しては、皆さん一様に前向きでした。この講演会で、メンバーの関心とモチベーションが一気に高まったと思います。

山岸島田さんからはどんなコメントがありましたか?

杉本ふくいのデジタルは銀行と新聞の2社での取り組みですが、今回は地元の非常に大きな流通集団である百貨店のトキハさんが入られているということに、島田さんからは驚きと期待の声がありましたね。

山岸杉本さんは地域共創における重要な要素として「目に見える構想を作成すること」を挙げています。今回も1か月で構想書を仕上げたとのことですが、5社からはどのような反応がありましたか?

杉本同じ大分で事業を営んでいるとはいえ、業種業態が違う5社の意識を合わせていくのはやはり難しい。しかし、構想書という形で「絵」に落とした瞬間に、「これやりたいよね」と5社の目線が一つになった。そこが大きなターニングポイントでした。

構想策定の際のポイントは、いわゆるデートカウンター効果※ですね。5社がそれぞれ個別に話す場面では、向き合うと緊張感が高まる構図になりがちです。そこに電通コンサルティングがファシリテーターとして入ったことで、51の関係性が生まれた。各社からご意見をいただきながら私たちが調整役を担うという形でまとめることができました。

※デートカウンター効果:メンバー全員が同じ方向を見られる仕組みをつくることで、気軽に意見交換ができ、相互理解を進めやすくなる

山岸5社が向き合うのではなく、同じ方向を向いていたから、まとまることができたということですね。

杉本そうですね。大分は自然も文化も歴史も食も豊かな県でありながら、人口減少が加速している。新産業の立ち遅れ、交通課題など地域課題も深刻です。インフラを支えてきた地元の名士たるこの5社は「何かしなければ」「新しい大分を作っていかなければ」という忸怩たる思いを長年持っていた。その大分愛で、同じ方向を向くことができたからこそ、構想に対して目線が合ったのだと思います。

山岸上野さんは後に、5社が動き出していたことを知って、どのようにお感じになりましたか?

上野こういう全国的にも非常に珍しい5社での取り組みに手を挙げてチャレンジすることを組織として認めた——それほど強い危機感があったのだろうと思いました。また、(大分銀行)高橋頭取の強い思いを感じました。「何かが起こるはずだ、化学反応があるはずだ、先頭を切ってチャレンジしなければ」という思いがあったのだと。

それにしても、こういう座組で新会社設立にまで漕ぎ着けたというのは本当に驚きで、よくまとめ上げたなというのが正直なところですね。

構想が形になるまでの険しい道のり

「論より証拠」——ふくいのデジタルの訪問が、議論の温度感を変えた

しかし、構想書だけでも動かない。5社が本当に前進するには、トップの腹落ちが必要だった。20243月、ふくいのデジタルの小林社長と、当時取締役だった山岸が大分銀行を訪問する。この訪問が、最後の一押しとなった。直後、TOCの議論の温度は明らかに変わった。同年3月末、大分銀行の中期経営計画にこの構想が目玉施策として盛り込まれる。5社間の問いは「やるかどうか」から「どうやるか」へとシフトし、電通コンサルティングが実行計画策定の支援に加わった。

杉本ふくいのデジタルの小林社長(当時)と、取締役であり福井銀行の執行役員でもあった山岸さんに来ていただいて、当時の大分銀行 地域創造部の部長と副部長に会ってもらいました。これは本当に大きかったです。同業他社の「論より証拠」が一番効く——理屈ではなく、実際にやり切った方からの言葉と熱量が、大分銀行の方々の意識を変えたのだと思います。

山岸当時のふくいのデジタルは全国的にも珍しい形でしたから、各地からヒアリングの依頼を数多くいただいていて、小林社長と私で対応するのにある程度慣れていた状態でした。ただ、大分にお邪魔してまず感じたのは、他の地域と熱量と本気度がまるで違う、ということでした。会議室に足を踏み入れた瞬間の空気感がすごかった。これは必ず思いを遂げられる、と予感がしました。

その後、20243月大分銀行の中期計画にこの構想が盛り込まれましたね。

杉本地域経済界の雄である大分銀行が地域のために覚悟を決めて、新しいイノベーティブなことをされるということで、残りの4社の安堵感と期待感が非常に高まったというのを記憶しています。それまでは「やれたらいいよね」という雰囲気だったものが、「やる」という前提に変わり、その後の議論の質も一気に高まりましたね。まさに動き出せる、という心強さを感じました。

5社の合意形成——最後の半年、現場での奔走

ここから、幹部で構成されるTOCとは別に、実務メンバーで構成される大分共創プロジェクトチーム(以降、OKPT)の2軸体制で新会社設立の検討が始まった。だが、約半年にわたり議論は具体化しない。膠着——。この難局を救ったのが、福井銀行から電通コンサルティングへと転じた山岸だった。山岸は各社の意思決定プロセスの違いを考慮し、全員で合意形成を行う全体の場と、個別に本音をすり合わせる場を徹底して使い分けた。大分銀行が確かな数字で事業計画を裏付け、山岸がエモーションとパッションをもって担当者一人ひとりの想いを紡いだことで、設立に向けた議論は収斂していく。

山岸私が電通コンサルティングに加わったのが2024年の4月で、その数か月後からOKPTへの伴走支援が本格化しました。実際に入ってみると、議論がなかなか前に進まない局面が続いていました。杉本さん、当時の状況をどう見ていましたか?

杉本OKPT5社のエース級人材が集まった部隊でしたが、バックグラウンドはマーケティング・営業・ITとさまざまで、週次会議で宿題を持ち帰っては次回持ち寄る、という繰り返しの中で、どうしても個社の目線で議論が進んでしまいがちでした。全体の大義に向かって同じ方向を向きながらも、ディテールに入ると「自社にとってのメリットは何か」「ここは譲れない」という各社固有の声が交差し、なかなか一つの解にまとまらない。大分銀行が事務局として取りまとめを担ってくれてはいましたが、それでも歩みは遅かった。

そこで山岸さんを中心に動き方を変えました。電通コンサルティングがドラフトを作成して提示し、5社に意見をいただき集約する——ここでも15のファシリテーションを担う形です。あわせて経営層へのOKPT報告を月次で定例化しました。それまでは各社がバラバラに上げており、TOCメンバーでも状況を把握している人とそうでない人が混在していた。情報の粒度と頻度を揃え、全体で議論する場と個社・事務局で話す場を明確に分ける。そして、個社の社内をどう通すか——この最も難しい場面で、山岸さんが一社一社と向き合って奔走してくれた。

山岸確かに、大変でしたね…。ゴールと期限は決まっている。そこまでに決めなければならないことが山のようにある。11回の会議の重みを皆さんに実感していただきながら、議論を前に進める仕組みを作ることが最初の課題でした。  5社全員が目指す方向は一致していましたから、そこには何の問題もない。ただ、議論が進む中で各社の熱量に微妙な差が生まれてきたり、担当者の交代が起きたりすることがある。担当が替わった際には、これまでの経緯と思いをその方お一人お一人に丁寧にご説明する作業が必要になりました。5社が集まれば、必ずそういうことが起きてくる。それでも、OKPTの皆さんの事業への理解の深さと情熱が本当に強かったので、それが何より支えになりました。

杉本:山岸さんがいなければ5社の合意には至らなかったかもしれないと、私は思っています。

山岸色々な苦労はありましたけれど、やらせてもらってよかったなと思います。私にとってもこの仕事を始めてから今までで一番記憶に残っている、本当に愛情深い仕事です。

上野社長はOKPTのメンバーと最初に会ったときのことを、どのように覚えていますか?

上野社長就任後、初めてお会いした日のことはよく覚えています。右も左もわからない中、大きな会議室で30人ほどのメンバーと挨拶しました。でも話をする中で、5社は違う会社にもかかわらずベクトルが同じ方向を向いていて、一人ひとりが熱い思いを持っていることが分かって、ちょっと興奮してしまいました。私は銀行員として地域のためにやってきた自負があったけれど、いやいや、新聞も放送も百貨店もIT企業も、皆さん同じだけの思いでやってきてくれている。『社長、こんなことがしたいんです』と最初から熱く語ってくれた。彼らをあきらめさせてはいけない、失敗させてはいけない、と強く感じました。

山岸さんの苦労も後から聞いて、本当に大変だったんだなと。会社もない、確証もない、仮説の上に仮説を積み上げながら議論をまとめていく——その蓄積があったからこそ、今これだけの案件が動いている。私は今、煮詰まって生まれたものの上澄みをいただいている形で、本当にありがたいと思っています。

おおいたプラット上野秀寿氏_電通コンサルティング山岸重和

おおいたプラット代表取締役社長 上野 秀寿さん(左)と電通コンサルティング マネジャー 山岸 重和(右)

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対談内で取り上げているイベント年表

記者会見、そして社長就任——想定外の苦難の船出

青天の霹靂だった社長抜擢

2025210——「おおいたプラット」設立を世に告げる合同記者会見が開かれた。大分初となる大手企業間連携の取り組みに、産官学の各方面から驚きと期待が沸き上がった。

山岸合同記者会見を、お二人はどのようにご覧になっていましたか?

杉本私にとっては感無量でした。これだけの業種の、地元の雄の各社社長が並んで手をつないでいる姿を見たとき、「これは大分の未来が変わるぞ」という確信がありました。

上野私は正直に言うと、帰省したときにニュースで知って、「大分銀行、またすごいことを始めたな」くらいの感覚でしたね。まさか自分が社長を任されるとは全く知りませんでしたから。

山岸そうだったんですね…()社長就任の打診を受けたのはいつ頃ですか?引き受けた時の率直な心境を教えてください。

上野:合同記者会見後まもなくして、高橋頭取に呼ばれました。非常に熱い思いを伝えていただいたのですが、当時は福岡支店長として仕事が充実していたので、ついつい「もう少し福岡で頑張らせてほしい」と言ってしまいました(笑)。

1週間後にまた来い、と言われ、その間は心穏やかではありませんでした。でも頭取の目は真剣で、勢いがあって、『あなたに』と言ってくれた。チャレンジングでハードルが高い、難しい仕事だと分かったうえで——少々自意識過剰かもしれませんが、『これはもう、私にしかできないだろう』と。その日の夜には引き受けようと決め、もう一度頭取に会って『やります』と伝えました。

「案件ゼロ」という現実——スイッチが入った瞬間

4月、上野さんは福岡支店長からおおいたプラット社長へ——着任した時点で、確定案件はゼロ。事業計画との乖離は大きく、期待よりも不安が先立つ船出だった。

山岸着任後に「案件ゼロ」という現実に直面したとき、どのような気持ちでしたか?

上野事業計画では、ある市町の地域通貨事業の受託を前提とした計画内容だったのですが、市長方針によって計画がガラリと変わり、その案件が無くなることが確定した日は、社員全員で一日どんよりしていましたね。

でも、沈んでいるだけではいられない。そのとき気づきました——「ニーズがなかったから、なくなったんだ」と。ならば、真のニーズを自分の足で探してこよう。数日後、全支店長が集まる会議で「みんな仲間になってほしい」と熱く訴えると、支店長たちが次々と「仲間になるよ」「俺もやるよ」と応えてくれた。頭取からも「その気概でいけ」と背中を押された。そこからスイッチが入りました。

さらに、一部の方から「この目玉案件が取れないなら、この会社もうダメなんじゃないの?」と心無い言葉をかけられた。それで火がついた。それまでは「言われたことを、できる範囲でこなしていく」という感覚でしたが、絶対に負けない、という気持ちが腹の底から湧いてきた。失敗があったからこそ今がある。あれが最初のターニングポイントでした。

山岸そのような状況の中で杉本さんや私と出会うことになるわけですが、電通コンサルティングに対してどのような期待をお持ちでしたか?

上野電通コンサルティングがおおいたプラットの設立に関わっていることは前から聞いていました。私が期待したのは、自分が考えていることを伝えて、返してもらえる存在——AIではなく人間としての壁打ち相手でした。それと、5社をまとめていく中でどうしても難しい局面が出てくる。当事者だけでは言いにくいことを言える第三者として、そばにいてくれる存在が欲しかった。

杉本上野社長とは、初めて会った時から意気投合させていただきました。いい意味で銀行員らしからぬバイタリティを感じたのと、大分県民は堅実で控え目な傾向があるんですが、上野社長は人懐っこくて誰とでも仲良くなれる方でしたので、銀行員っぽくなくて、大分人っぽくないところが非常に印象的でした。上野社長のお人柄のおかげで、案件ゼロからのスタートでも、おおいたプラットの皆さんはすごく明るくて、大分をどう良くしていこうかという思いがとても強く、そんなに悲観的な印象は受けなかったです。

キーワードは「仲間になってください」——引き合い急増、嬉しい悲鳴

3か月で500枚の名刺——足で稼いだ種まき

上野さんが真っ先にやったことは、シンプルだった。「自分の足で回ること」——。就任から3か月、ひたすら人と会い続け、人脈と信頼を一枚一枚、積み上げていった。

山岸就任直後の3か月で、自分で決めてやり切ったアクションを教えてください。

上野3か月で約500名の名刺を集めました。ありとあらゆる人に会い、話を聞きました。「仲間になってください」をキーワードに、一度会っただけでもお互いのニーズを話せる関係性を作ることを意識しました。今、1年少しでいただいた名刺は930枚になっています(笑)。

おおいたプラット_代表取締役社長 上野 秀寿氏

おおいたプラット代表取締役社長 上野 秀寿さん

追い風は「走っていた者」にしか吹かない

2025年秋、状況は一変する。物価高対策を背景にした商品券事業やデジタル施策が追い風となり、自治体案件が急増。しかし、上野さんは「たまたまではない」と言う。動き続け、関係性を築き、ニーズを拾い続けていたからこそ、追い風に乗れたのだ。これは単なる偶然ではなく、ピンチの瞬間から走り出せる準備を愚直に続けていたからこそ掴めたチャンスだった。

山岸引き合いが増え始めたのはいつ頃からですか?最初に「これはチャンスだ」と感じた出来事を挙げるとしたらどのようなことになりますか?

上野9月〜10月頃から話がぽつぽつと来始めました。ターニングポイントになったのは、大分市の商品券事業に関われたことです。高市政権の物価高対策として、デジタル商品券の仕組みが各地で必要になった。そのとき私たちはすでに動いていた——アプリの準備もあり、56市を並行して対応できる体制もあった。「追い風が吹いたとき、走り出せる準備ができていたから乗れた」ということです。あの最初の失敗から営業を続け、仲間を増やし、実績を積んできたから、国の政策が動いた瞬間に対応できた。今も複数の市町のデジタル商品券事業を担わせていただいています。 

もう一つのターニングポイントは地元雇用活性化事業です。大分銀行から経験とスキルの高い人材が11月に加わったことで、「大学」「学生」というキーワードに対応できる体制ができた。これで「深刻な人手不足」という大きな課題に正面から向き合えるようになりました。デジタルと雇用という両輪でいける、という確信を持てたのが昨年の秋でした。

山岸杉本さんは上野社長を地域共創の重要な要素である3点目「核となるイノベーター」と位置づけていますが、その特徴・強みをどう見られていますか?

杉本リーダーも色々なタイプがいますが、アクションとアウトカムの両面で見ると、上野社長のリーダーシップの輪郭がよくわかります。  アクションで言えば、先陣を切って多くの人に会い、情報を集め、関係を深化させる。その結果として今、複数の市町村からデジタルプラットフォーム事業の引き合いが来て、それに対応できている——これが直接的なアウトカムです。足で稼いだ関係性が受注確度を上げている。

もう一つのアウトカムは、構想の拡張です。当初計画はデジタルプラットフォーム事業が基軸でしたが、人に会い動く中で、人材マッチング、インターン支援、地域公共交通、街づくりへと事業領域が広がっていった。大分の地域課題を解決し、未来の大分を作るという大義に基づく拡張です。通常、構想は大きく描いても実行するにつれて小さくなっていくものです。でも上野社長は先に動いて、そこから構想を膨らませていく。しかもその拡張を、チームを巻き込みながらやり切っている。5社という応援団がいることでリソースの手当ても集めやすい——それもまた上野社長の人を巻き込む力のなせる業だと思っています。

山岸今は引き合いが増えて「嬉しい悲鳴」とのことですが、現在の課題を教えてください。

上野一番の課題は体制強化、つまり人材不足です。56市から同時に案件が来て、今もう実際に動いています。走りながら案件管理・進捗管理の体制を補完しているところです。1年目は夢中で走り続けた。2年目に入った今、断る仕事を決めるのも社長の仕事ですよ、と部下に言われています(笑)。

中期構想を旗印に——大分の未来へ

「誰と何をなすか」——大分愛が紡いだエコシステム

2025年春、おおいたプラットは「中期ロードマップ」をウェブで公表し、信念をもって旗を立てた。そこに掲げられたテーマには、大分の具体的な地域課題と、おおいたプラットだからこそできる解決策が紐づいている。これは「夢」ではなく「計画」だ。

山岸おおいたプラットとして中期構想を公表された思いと、10年後の大分の未来像について聞かせてください。

上野杉本さんと山岸さんに整理していただいた中期構想を公開することで、「ただシステムを売る会社ではない」ということが初めて伝わった気がします。県の関係者からも民間からも「10年後のビジョン、いいですね」という声をいただき、社内・株主5社にとっても「そこへ向かっていくんだ」という旗になりました。

4つの柱——デジタルプラットフォーム事業、地元雇用活性化事業、地域公共交通事業、まちづくり事業——は、それぞれが大分の具体的な課題とつながっています。人口流出、移動困難、観光の底上げ、地域交通の再設計。どれも重くて大変な課題ばかりですが、だからこそやりがいがある。10年後にこれができていたら大分は本当に良くなる、という確信を持って進んでいます。

杉本おおいたプラットの今の状況は、当初計画からかなり拡張してきています。それは上野社長というイノベーターのリーダーシップの賜物です。また、上野社長の特技である「仲間集め」も、この取り組みをブーストさせている力です。

結局「誰と何をなすか」——これがどのビジネスにも通じる本質だと思います。「何を」は中期構想で描いた10年後の大分への道筋。「誰と」は上野社長が先陣を切って集めてきた仲間たちです。そしてその根っこには、生まれ育った大分への愛がある。  10年後、20年後、子供たちに誇れる大分を作っていくために——大義を掲げ、ロードマップで『何を』を示し、上野社長が先陣を切って『誰と』を集める。その仕組み、エコシステムこそが、おおいたプラットを成功へ向かわせている真髄ではないかと思います。

山岸ふくいのデジタルの立場でこの取り組みに最初に関わり、今は電通コンサルティングとしておおいたプラットに伴走している立場から言えば、大分の皆さんの熱量は最初から本物でした。その熱量が今、確かな形になってきている。大分のこれからが本当に楽しみです。最後に、大分の未来に対するお二人の思いをお聞かせください。

杉本大分出身者として、これほど多くの地元の仲間と一緒に大分の未来を作っていけることを、本当に幸せに思っています。高橋頭取が覚悟を決め、5社が動き、上野社長が圧倒的なリーダーシップで引っ張り、山岸さんと私が伴走している。「誰と何をなすか」の答えが、まさにこのおおいたプラットという取り組みに詰まっています。

上野「大分で過ごす幸せの総量を増やす」という理念を、私はとてもいいと思っていて、高齢の方も、子育て中の方も、学生も、留学生も、観光客も、すべて含めて、大分に携わる方、みんなを幸せにするというビジョンを掲げて動いています。最近、街中で「最近おおいたプラットどう?うまくいってるね」と声をかけてもらえるようになってきた。ようやくベクトルが揃ってきた実感があります。

私が目指すのは、「仲間になりましょう」という思いを持った人たちがたくさん住む街です。みんなのためにやろうよ、という雰囲気がある街は、住みたくなるし、子育てしたくなるし、戻ってきたくなる。そういうプラスの循環の中心に「おおいたプラットがあるからだ」と言ってもらえたとき、この仕事をやり切ったと思えると思います。

電通コンサルティング 専務執行役員 シニアパートナー 杉本 将隆_おおいたプラット代表取締役社長 上野 秀寿氏

電通コンサルティング 専務執行役員 シニアパートナー 杉本 将隆(左)とおおいたプラット代表取締役社長 上野 秀寿さん(右)

■おおいたプラット株式会社

大分県内の地元企業5社である大分銀行(金融業)、オーイーシー(ITサービス業)、大分合同新聞社(新聞発行業)、大分放送(放送事業)、トキハ(百貨店業)が出資し、大分県内に点在する地域課題の解決と「持続可能な地域」の実現を目指して、デジタルとリアルを融合させた新たな挑戦を実行・実現するため、20254月に設立された。

今回インタビューした方

上野 秀寿さん
おおいたプラット代表取締役社長

おおいたプラット_上野氏_プロフィール

1970年生まれ、1994年4月株式会社大分銀行入行。
南支店、延岡支店など営業店業務を経験後、法人新規開拓専担であるブロック法人営業室を大分銀行で唯一県内県外の2エリア連続で経験。その後、総合企画部にて中期経営計画策定や店舗戦略に従事したのち、勘定系システムの業者選定プロジェクトを任され、選定後は次期システム移行プロジェクト統括室として勘定系システム移行のPMを務める。
また大分銀行が初めて実施した公募増資を専担者として経験、営業戦略部では行動プロセス変革専担PMとして銀行全体の行動思想見直しのプロジェクトを遣り上げた。
2025年4月に福岡ブロック長福岡支店兼博多支店長からおおいたプラット株式会社代表取締役に就任。現在に至る。
趣味は旅行、多肉育て、食べ歩きなど多岐に渡る。大分トリニータサポーター。猫好き。



杉本 将隆
電通コンサルティング 専務執行役員 シニアパートナー

杉本さんプロフィール用

シリアルイントレプレナー&事業創造コンサルタント&アントレプレナーシップ教育家の3つの顔を持つ。延岡市生まれ、大分私立岩田学園出身。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、大手鉄道会社に就職。複数の新規事業立ち上げを経験。九州大学ビジネススクール在学中に、デロイトトーマツコンサルティング合同会社に移り、B2C向け新規事業・CRM戦略チームをリード。PwCコンサルティング合同会社では、地方創生チームと地区事務所を立ち上げ統括責任者。2019年9月より電通グループのコンサルティング事業バリューアップのため電通コンサルティングに参画。地域づくり×事業づくり×人づくりを得意領域とする。九州大学QREC客員教授(ニュービジネスクリエーション、コーポレートアントレプレナーシップ特論)、亜細亜大学ビジネススクール講師。中小企業診断士、1級FP技能士、経営学修士。